2012年12月20日木曜日

六本木ヴェルファーレ

先の投稿であるジュリアナ東京が閉店した同時期に
やはりディスコの本拠地、六本木(Roppongi)に出現した
いや歴史を紡ぐ為に生まれ変わったと言えるかもしれません。

時代の流れはクラブへ移行していった訳ですが、堂々とディスコと名乗れる王道その物です。

ご存知の通り、仕掛け人は当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあの!小室哲哉とavex traxです。

結局、この箱が最後の砦となったのはある意味宿命だったのでしょう。
地下3階、地上3階建て、1500人収容というスペック以上に強烈な存在感がありました。

トランス・ユーロビート・パラパラなど、現在では恥ずかしい感が拭えませんが
流行(はやり)なんて、思い起こせば皆そんな物です。

12年もの長き間営業を続け、幕を下ろしたのは記憶に新しい所ですし
日本にまたバブルが復活?するまで、皆さん楽しみに待ちましょう。


ファサードの階段を見上げただけでワクワクしてしまいます。





いよいよエントランンスへ




ダンスフロアを上から眺めれば壮観!



熱狂が伝わってきます。



憧れ!のVIPルーム



トイレのデザインまで!!






しかし、長い年月が流れ・・・



借地契約が終わり、当然ビルは取り壊し建て替えられ
面影は全くありません。




地下のイベントホール、ニコファーレのネーミング
笑っちゃいます。




2012年11月30日金曜日

ジュリアナ東京

地名は芝浦になるのでしょうが、あえて外しておきます。

以前に紹介したGOLDとは、同地区にてある意味双璧です。
コンセプト・客層・嗜好等全く違う訳ですが、どちらも欠かすことはできません。

バブルという日本中が浮かれていた時代の終わりに登場し、一世を風靡したのは皆さんご存知の通りです。
(映画になる位ですから歴史上の出来事なのでしょう)


エントランスを見ただけでときめいてしまいます。





ワンレン・ボディコン・お立ち台等等、素晴らしい文化の産物を生み出しました。





音楽がらみでavex、かなり儲けたのは容易に想像できます。










しかし、長い年月が流れ・・・


何回か改装されましたが、現在はオフィスとして営業?中だそうです。

エントランスには名残があり、ある意味感無量





中に入れば、なぜかミラーボールがお出迎え



お立ち台がご覧のとおり



VIPルームがこれですから!




一度お邪魔したく(無理でしょうが)



2012年10月23日火曜日

歌舞伎町NEW YORK NEW YORK

以前の投稿で紹介しましたが
東宝会館・コマ劇場が跡形も無くなり工事中になって久しくなります。

新宿というよりも敢えてこの地名にときめいてしまう貴方
一緒に懐かしがりましょう・・・・


当時は新宿ジョイパックビルと呼ばれていた4Fに在った大箱です。
たしかエレベータがシースルーで夜景を眺めながらワクワクして上ったものでした。

メンバーズカードの変わりに貰ったキーホルダー!今でも使用している方も多いでしょう。



入り口に立っている確か黒服にチェックしてもらい、だだっ広い店内へ飛び込んでいきました。

ただ、東宝会館のXENONのダンスフロアしか思い出せず(汗)
拾ってきた画像を貼っておきます。










しかし、長い年月が流れ・・・




ボーリング場に生まれ変わった店内からは想像出来ませんが
丸い柱と一段下がっているフロアから名残が感じられる程度です。






2012年8月21日火曜日

原宿ピテカントロプス・エレクトス

実はこの店が日本におけるクラブ発祥と言われています。

1964年築のVILLA BIANCA(ビラ・ビアンカ)の地下に
クラブキング(ベタなネーミングですね)率いる桑原茂一が開店し
中西俊夫・高木完・藤原ヒロシなど、当時はサブカル宣教師たちの溜り場でした。

その後の皆様!のご活躍はご存知の通りです。

画像はそこら中からかき集めてきたので収集がついていませんがあしからず。



店内レイアウト

エントランスは地下1階



 地下2階のステージ





DJセットですが歴史を感じますね!






当時の若者?のファッションにも注目。
まあ・・・




その後、クラブDと店名を変えました



しかし、長い年月が流れ・・・







メキシコ料理店にて現存







階段の雰囲気は当時のまま?


2012年6月26日火曜日

西麻布REDSHOES

ディスコとは違うのですが、当時トレンディ(死語?)だったカフェバーの走りと言われています。

オーナ松山勲、プロデュース松井雅美という名前を聞いて数々の店名を思い浮かべる貴方
別の機会にまた紹介しましょう・・・

霞町と呼び方が似合う、しっとりした場所に出来た隠れ家の様でした。

ただ、昔のことであまりよく覚えておらず申し訳ありませんが
名前の通り赤を貴重とした店内、スクリーンに映されていた動画
ワンショットのドリンク、中華料理くらいの記憶です。

カウンターに陣取るのがお勧めでした。






しかし、長い年月が流れ・・・






中に入ったことが無いので分かりませんが、全くの別店舗にて営業中のようです。


高樹町に同名で営業を再開していますので、機会があれば探検したいと思います。

 

2012年5月28日月曜日

麻布十番マハラジャ

いよいよ本家大元真打の登場です。

賛否両論あるでしょうが、マハラジャ王国を設立し日本を征服、海外まで拡大し
一時代を築いたのは紛れも無い事実でしょう。

ドレスコード・男性同士の入店禁止等いわゆる客を選別する手法は、プレミア感・優越感という
来店することへの新たな価値を生み出しました。



みんなが行列をつくったエントランス







大理石のダンスフロア・真鍮製の象牙、懐かしくて涙が出ます



ハニートースト!偉大な発明と言えるでしょう。





しかし、長い年月が流れ・・・






実は
これまた懐かしい場所、六本木プラザビル5Fにて復活!営業中ですが
どんな格好をして行っていいか分からず、いまだに来店する勇気がありません。


 




2012年4月9日月曜日

芝浦Gold

この箱が日本に出来たことにより
ディスコからクラブへ歴史が変わった重要な場所です。

米国の最新設備を調査し作成されたサウンドシステムは
当時はモチロンですが現在でも通用するような素晴らしいモノだったようです。

音圧を身体で感じる!体験してみたかったです。
(新木場ageHaに匹敵?ご存知の方は情報お願いします)

DJのメンツも本場仕込みの高橋透、NORI、EMMAなど最強メンバー勢揃い
ゲストも豪華絢爛でした。

ただ
ハウスはリズム(4つ打ち)が単調ですから 飽き易く
1回リニューアルしたものの5年間の期間限定にて
跡形も無く消え去った次第です。



当初のロゴ、のちに小文字になります。



エントランス
なぜかおでん屋台





メインダンスフロア(3階~5階吹き抜け)
壁一面がスピーカーだったという噂?





リニューアル後のフライヤーは別ブログJapanFlyerにて。




しかし、長い年月が流れ・・・



マンションに建て替えられ、全く面影なし



川の眺めを覚えている方いますか?
(HIBARI Systemにかけて、川の流れのようにBy美空ひばり)



2012年3月20日火曜日

赤坂MUGEN

いわゆる日本におけるディスコ発祥の地といっても過言ではありません。

1968年オープンですから当然行った事は無いわけですが、当時の常連の顔ぶれから
まさに日本の文化の最先端って感じがします。

場所も夜の歴史にて重要なエリア赤坂!粋な雰囲気 が漂います。

本場米国よりミュージシャンを招き、ライブを開催など
現在のクラブのコンセプトはここから来ているのでしょう。

1987年閉店ということらしいですが一度経験してみたかった
後悔先立たずです。


エントランス






地下へ降りる階段





店の前








長い年月が流れ・・・




エントランスの雰囲気は残っていますが
今となっては別物です。
(時代を戻して戴きたい!)

2012年2月17日金曜日

新宿XENON

最初の投稿は六本木でしたが、やはり新宿を語らずにはいられません。
なにせデビュー(初体験?)の場所は大事な思い出です。

80年代当時の大箱といえば、ジョイパックビルのNEW YORK NEW YORKと東宝会館のXENONが双璧でした。

まあ、ディスコに行く主目的は男女共にナンパな訳ですが、ただ踊りたい輩が居たのも事実で
汗だくになってスポーツ代わりだったかも知れません。

あと、大音響で音楽を聴くことが出来るのも貴重でした。

幾晩とも無く盛り上がった
Boys Town Gang - Can't Take My Eyes off You
Journey - Separate Ways

なぜか
シブがき隊 - Zokkon命(LOVE)

目をつぶるとダンスフロアーの光景が思い出されます。 


当時の画像を拝借して掲載します。
















しかし、長い年月が流れ・・・



昨年夏には、該当ビル取り壊し中でした。



現在は更地にて面影は消え去った次第です。
(旧ジョイパックビル(ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町)がなきゃどこかわかりません)






時代の流れですから納得!



2012年1月26日木曜日

六本木スクエアビル

当時は新宿にてデビュー、経験?を重ねて六本木へ格上げ→上京するのが若者(最近聞かなくなった言葉ですが)の夜遊びの王道と言えるでしょう。

ちょうど大学に入学し、女子大生ブーム真っ盛り(オールナイトフジがらみ)で華やかな時代でした。

ディスコが脚光を浴びており(クラブはまだ存在せず)、地下2階、地上10階建ての雑居ビルに店が集中している訳ですから注目せざるを得ません。

各フロア毎に嗜好が違っており、好みの店に通って常連になるか(店員と顔見知りになる)
全店を制覇するかって感じでした。
(詳細はネットにて)


残念ながら当時の画像は無いので(携帯・デジカメも当然存在せず)あるところ?よりパクッてきました。
ガラス張りのエレベーターから見た六本木の夜景が思い出されます。





その後、バブル崩壊!
ディスコという店舗形態は時代の波に揉まれ消えていったのはご存知の通りです。

大学を卒業し社会人となる頃には東京を離れ、記憶の彼方に忘れ去られました。

長い年月が流れ、リバイバルブームも一時は盛り上がりましたが
最近は少数のオヤジ・オバサンが細々と趣味的に集まっているくらいでしょう。

該当のビルも取り壊されご覧の通り!祭りの後って感じです。



瀬里奈がなかったらどこかわからんでしょう・・・